原発のない社会

                ----兄弟姉妹の試み----

 

          本会は、兄弟に心の病を持つ者の有志が行うミニ活動グループです。

 

      ● 兄や弟、姉や妹がこころの変調を来たし、病気になってしまうと、本人もさることながら、

       私たち兄弟も、病気になってしまうのではないかと思うくらい沈み込んでしまいます。こころの病は、ま

       だまだ偏見が強く、私たちは、兄弟の事にどうしても口を閉ざしがちになります。病気本人を取り巻く

       医療環境、地域社会環境は、とても貧困です。

 

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      ● 東京電力福島第一原発の事故は、大きな課題を私たちに突きつけているように思います。これほ

      どまでに周囲に放射線を撒き散らし、今後も長年放出し続けるのでしょう。それでも、原発は必要である、

      という主張(論理)が生き延びています。電気を金に「変身」させる東京電力や国家の意思、そしてその

      論理を信用してしまいがちな思考を変革していかなければならないと思います。

 

      ● 私たちは、今回の地震、津波、原発の事故の発生とは別に、地球温暖化(CO2排出の増加)を忘れる

        訳にはいきません。津波があっと言う間に現出したのに対して、地球温暖化は着実に脈々と進行して

       います。津波は、一瞬にして多くの不幸をもたらしましたが、CO2排出の増加は、時間を掛けながら数年

       単位の動きでもって、多くの不幸をもたらすでしょう。

 

      ● 今、節電の事が言われます。しかし、節電は原発の事故とのみ結びつけて考えていいものか?そうではない

        でしょう。経済成長とともに続けて来たエネルギーの無自覚な浪費を、いよいよ見直さなければならないよう

        に思います。

 

      ● 電気はそもそも手段に他なりません。その手段(道具)の生産のために、奔走するのは、本末転倒ではないで

        しょうか。 私たちは、ごく普通に、ごくありきたりの日常を、お互いが助け合いながら、生きて行く事を考えるのが、

        大切な命題ではないでしょうか。

 

             ● かけがえのない地球を守りながら、社会のなかで、人との結びつきを構築しながら生きて行く事を

                考えたいものです。電気の製造は、人間の生活を豊かにするための道具(手段)にこそなれ、振り回される

               事自体、あまりにもおかしな話ではないでしょうか?

 

            ● 東電などが、電気の製造になりふり構わず奔走するのは、この道具が、金に変身するからでしょう。しかし、ここで、

               電気で潤った人々もまた、社会のなかで、人との結びつきを構築しながら、生きて行く事が問われます。彼らもまた、

               地域住民であり、社会の構成員なのです。

  

           ● 現代にあっては、原発なくして総エネルギー量を確保できない、という主張が今だなさます。この主張はある意味

      「論理的」に聞こえなくもありません。しかし、原発の問題点を不問とし、問題点を引きずりながらその占有率を上げ、

      既成事実を積み上げておいて、総エネルギーが足りなくなる、という論理はあまりにも身勝手といわざるを得ません。

      今ここに来て、原発の停止が電力の不足を招くというような、“今”という時間軸の一点を問題視するのではなく、40年

      にわたり、脈々と原発増設を積み上げて来たという長い時間軸のスパンでその是非を考えるべきではないでしょうか。

      そうすれば、結局のところ、原発の秘める本質の何たるかの問題を熟慮しない訳には行きません。

 

     ● 戦後生産能力が向上し、飛躍的に進化しました。膨大な“もの”を作り続け、廃棄し続けています。「変身」するのは、

       電気だけではありません。地球には、ふんだんなる工業製品があふれかえっています。 やはりこのふんだんなる

       工業製品も金に「変身」してきました。そしてこの副産物がCOなのでしょう。

 

     ●私たちは今、(“もの”=手段)の生産とエネルギーの無自覚な浪費、ものの消費を同一次元の事として考えるべきでは

      ないでしょうか。あふれかえる“もの”はCO増加にこそ結びつきますが、豊かな人間生活には、結びつくのでしょうか?

      電気は、“もの”の生産性向上のための設備・機械にふんだんに使われているのです。

 

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       こころの変調、こころの病は、他の内臓疾患や、癌などとも同じように、一つの病気に違いありません。

       しかし、偏見があり、まだまだ特別視される風潮を感じざるを得ません。

 

       本会の活動は、生産のあり方の実践的な模索を基調とします。人間は社会と関わりながら、小さな社会の中で、

         人間関係を構築しながら“生”を実現します。病になった者、病の淵をさまよう者、病者に寄り添う者、

         彼らを抱える社会の有り様を見渡したとき、その否人間性を感じずにはおれません。

         社会の有り様を考えるとは、病者が、どのような過程を経てリカバリーを実現していくのか、を考えるのと、

          同一次元の事と考えます。

  

       本会は、精神的な事象によって生きる希望を見出せない人の回復の過程と、彼らを取り巻く小さな社会(共同体)

         の回復の過程を一つの対象事象と捉え、この事象の改善、創生の取り組みを基本的スタンスとします。

 

        一人の人間の変化(回復)していく過程は、その人間を内包する社会の変化(回復)の過程そのものであると

       とらえます。

 

          個人と社会を考える時、まず、直面するのが、家族です。家族という最小の社会の有り様と、その社会の構成員

         である個人との関係が問題になります。

 

         個人と学校社会、個人と職場社会、個人と地域社会・・・等など。

 

         本会では、個人を注視し、社会を注視します。両者の変化の過程促進のために、個人への、

         そして社会への働きかけを行います。

 

          社会創生の模索を実践活動を伴いながら行います。

 

          収益活動-------------農と食 (直売所事業、移動販売事業、その他)

          普及、啓蒙活動-------農のあり方(循環型農業=バイオマス)小規模プラント

                   ------- こころの変調お話会活動(青少年との交流=社会教育施設、学校)

                   ------- 高齢者との交流=個別訪問など

          セルプヘルプ活動----- 

          共同学習活動

          運営会議-------------

  

         本会は、活動の準備段階にあります。

         拠点 東京都世田谷区(最寄駅:田園都市線 三軒茶屋/日比谷線 祐天寺駅)

                   メール [email protected]

                                                          2011.5.21