東日本大震災について

東日本大震災について、思い出しながら、書いてみようかと思う。
仙台市にて、被災する。

 

■2011/03/11 14:46
【地震発生時】
仙台市若林区のオフィスビル上層階にて、地震に遭遇する。
グラっと揺れたら、とりあえず机の下に潜ることにしていたので、机の下に潜る。
けっこー強えーな、あれ?マジこれやばくね?とだんだん思ってきた。
そうこうしているうちに、会社内の棚やロッカーが、倒れ始め、可動式の
引き出しなどが揺れまくる。自分も右へ左へ揺れまくる。
机の下に物が押し寄せてくるが、椅子でガードしたりする。

ついに、机の上においてあった物が全て床に落ちる。
事務所用電話が落ちて受話器が外れたのをなんか覚えている。
そして、バッチっと全ての電気が消え停電になる。その瞬間がなんか怖い。

これは本気でまずいと思い始める。
でも、建物倒壊はないだろうな、神戸ほどではないのではないかと思う。

かなり地震にゆられていた時間が長かったため、いろんなことを思考する。

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【揺れおさまる】
揺れがおさまり、社内に居た人に声をかける。
みな、無事でなにより。

しかし、社内は事務所の広さの割に物が大量なため、書類・本・文房具・PC・ディスプレイ
ありとあらゆるものが散乱しまくっており、足の踏み場も無い。
そして、隣の会社の部屋との仕切りすらも倒壊し、まさに隣の事務所丸見え状態であった。

入り口は中からも外からも開けられない(ロッカーなどを踏み越えないと
入り口にすら到達出来ない)ため、幸いにも倒壊した壁を乗り越えて、隣の部屋から
廊下へ脱出する。
このとき、コートや鞄などを隣の椅子にかけていたため、すぐに回収出来たが、
ロッカーなどに入れていたら探しきれなかっただろう。
ちなみに、机の上に置いていた会社用携帯は落ちてどこにあるかすら分からない。
だが、探している場合ではない!とにかく、早く外に出ねばと思う。

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【ビルの外に出る】
ビル内に居た人がみなでゾロゾロと階段を降りる。窓が無く、電気もないので
踊り場のところで、こけそうになる人多数。

やっと外に出るが、余震きまくり、ビルがなんか揺れていて怖い・・・。
そして、寒い。
ビル内の人々が駐車場に集まって、地震について話している。
この時会社の人と、亡くなっている人居るでしょうね・・・という話をしたが、
まさか、津波であんなにも人が亡くなるとは全く思いもしなかった。

すぐ隣に国道があるが、どうやら信号は消えていない・・・車も走っている・・・。
あれ、以外に大丈夫か?
(後から知ったがどうやら、大きい道路は信号が消えないところもあるらしい)

集まっている人の中には靴が無い人もいる・・・かくいう私も、地震発生時に
靴が脱げたのか、結局、片方の靴が見つからず、半分裸足状態。

とりあえず、配偶者に電話でもと思うが、まったくつながず。
しかし、それはこれからの携帯繋がらないライフの序章にすぎない。

■2011/03/11 15:07
【配偶者と妹からメールが来る】
ここで、配偶者からメールが入る。
このときはまだ、ソフ○バンクもすぐにメールが届いた。
配偶者は出張先に行く途中の高速道路で被災、無事だったようだ。
とりあえずこちらも無事と返信する。
妹は関西に居て、こちらにもとりあえず無事とメールを送る。

ワンセグでテレビを見ようと思い、テレビを見ると、仙台空港に津波?!
うそだろう。
???????????と思いつつも、配偶者と再会するまでは携帯の電源を
温存したいと思い、テレビを切り、会社の人と話して、とりあえず家に帰ることにする。

※このとき、帰りにガソリンを入れ何か食うもんでも買っていればよかったと思うが、
家のテレビが心配だったので、ソッコーバイクで帰る。(もちろん片足裸足で)

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■2011/03/11 15:30~16:00くらいだったと思う
【自宅に着く】
若林区の自宅に帰る。どうやら、帰り道を見ている感じでは、所々塀などは崩れては
いるようだが、家が倒壊しているというのはなさそうである。

家の中は・・・扉の無い棚の中のものが全て居間にぶちまけられているが、幸いにも
液晶テレビはテレビ台ごと前にせり出していて大丈夫だったようだ。
壁掛け時計が落ちて14:48ぐらいで止まっている。なんか、怖い。
寝室は元々何もないので、ほぼ無傷だった。

台所の棚においてあった、みずきりカゴが3メートル位ダイブし、冷蔵庫は空き、
ガラスのポットが割れて粉々になって散らばる。

片付けでもしよかと思うが、どこから手をつけていいのか分からず、なんか、
落ちた本を拾いつつ乾いた笑いが出る。

関西に居た妹から電話が来る。
おそらく、被災地近県からはほとんど繋がらないようだけど、妹は関西に
居たからなのか仙台の自分に電話がつながったらしい。
何かこの震災はかなり、ひどいらしいという話を聞く。

幸いにも、冷凍食品やカップラーメンや乾麺、お菓子がけっこうあったのと、
カセットコンロがあったので、温めて食べることは出来るだろうと思ったので
2、3日は大丈夫と思い、LEDランタンもあったので、それらを無傷の寝室に用意し、
すぐに逃げられるよう、コートを着込み、貴重品などの入った鞄を身近に置き、
寒いし、することがないので、布団に入って暖をとり、寝る。
時々余震が来るが、配偶者はしばらく帰ってこないと思われたので、寝る。

■2011/03/11 21:00くらい?
【帰宅難民現る】
とりあえず、うとうとしてたら、玄関から音が聞こえる、配偶者到着か
早いと思ったら、帰宅難民の友人が居た。
私に連絡をとっていたとのことだが、ソフトバンクのため、メールが遅延しており、
かなり後に届くのであった。

お互いに被災時のことを話しながら、配偶者の帰りを待つ。
たまに、ワンセグでTVを見て、津波の事を知るが、ワンセグだとどうしても
電気をくってしまうため、長い間見ることが出来ず、断片的な情報しか
集まらず、いまいちどんな様子か状況がつかめない。
ラジオを買っておけば良かったと強く思う。

■2011/03/11 23:00くらい?
【配偶者が帰宅】
とりあえず、高速道路での被災時のことを聞く。
高速を降りるまでに、2時間かかったらしい。ちなみにそれでもETC料金はとられたらしい。
高速を降りてからも、4号線は信号が点いていたり、いなかったりで大渋滞だったらしい。
結局、10時間かかって、県境辺りから、自宅までたどり着く。

寝る。

友人は眠れなかったようだが、たまに余震で目が覚めるものの、私も配偶者もけっこうぐっすり寝た。
ちなみに地震があってから、変なところに力が入っていたのか、足が筋肉痛になる。

 

■3月12日 08:00
【地震発生の翌日】
興奮からかいつもより早く目が覚める。
とりあえず、避難場所となっている近くの体育館へ行ってみるが、避難している人は居ない。
だが、同じく数人集まってきている人がおり、情報をもらう。
ここで初めて、多賀城方面が津波で水没しているということを知る。

その後、車で携帯を充電し、帰宅難民にバイクを貸して、帰宅することになる。
この時、配偶者は多賀城方面から夜を徹して歩いてきた人と遭遇したらしい。
とりあえず、幹線道路まで送る。幹線道路から、ヒッチハイクして家に帰るとのこと。
その人は仕事で多賀城におり、被災し車を流され若林区まで歩いてきたらしい。

配偶者も国道を帰ってくる途中、岩沼辺りで足を引きずりながら、
歩いて帰宅している人を見たという。

そんな話を聞いていると、この震災ってすごくひどいんじゃなかろうかと
やっと実感してきた。

□ソフトバンクはまだかろうじてメールは送れる
遠方の友人から、安否確認のメールが届き、返事する

□夜になってくると、メールは受け取れるが(おそらく遅延)、メール送信に失敗するようになる
ドコモはそんなことなさそうなのに!!

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